放射線とノーベル賞

高エネルギー加速器研究機構(KEK) 川合 將義

要旨 放射線が我々の生活に役立っていることが、意外と知られていない。その象徴的なものが、基礎科学の最先端のノーベル賞である。1901年のレントゲンによるX線発見に対する授与以来116年経つ。その中で放射線と(放射線同様「量子」である)素粒子に関係ある研究が63件見つかった。それらを研究分野別にまとめて発展史として図示するとともに、主要な研究について解説し、今後の放射線を学び研究する人への励みとする。

1.はじめに

 国内には、放射線を利用する研究施設や企業が多く有る。ところが、2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故以降、世論が放射線に対する忌避傾向が増しており、業種によっては、放射線によって性能向上できているにも係わらず、放射線のお陰だということを憚ってもいる。そうした気持ちを少しでも和らげたく、本小草紙を書いた。
 即ち、基礎科学の最高の位置づけとされるノーベル賞の116年に渡る歴史の中で63件が放射線と(放射線同様「量子」である)素粒子に関係している。正に2年に一度の割合でノーベル賞が贈られている。それを示すのは図1である。これは、ノーベル賞史を通して科学技術の分野別の発展をまとめたもので、以下、代表的な研究の展開を示す。

2.X線と中性子の発見と医学や物性研究への利用

 最初のノーベル賞は、1901年X線を発見したレントゲンに対する物理学賞だった。このX線が、今日の医学および医療に大変貢献していることは周知のところ。彼の妻の指の骨と指輪がくっきりと映ったX線発見の象徴的な透視画像から骨折や病気の診断法が編み出された。第1次大戦中には、X線診断装置を積んだプチキュリー号が活躍した。ピエール・キュリーは、自分の妻の手の被ばくによる傷から、放射線が細胞に影響を与える事を知って、ラジウム照射療法を実用化した。これが、今日のがんの放射線療法である。 X線の基礎的な性質として結晶によるX線の回折現象がラウエによって発見されて波動性が示された(1914年物理学賞)。一方、ブラッグ親子によってX線回折による結晶構造解析法が考案された(1915年物理学賞)。このX線回折とディヴィソンとトムソンによって発見された電子回折(1937年物理学賞)を組み合わせた分子構造の解析法がデバイによって発明された(1936年化学賞)。これらが、金属結晶や高分子、さらにはタンパク質や遺伝子の構造解析に利用されて、物性研究や医学生理学の多くの成果を生み出している。最近では、KEKのPhoton Factoryで行われたアダ・ヨナスらによるリボゾームの構造解析と機能研究(2009年化学賞)がある。
 一方、核化学を創成し、原子核モデルで有名なラザフォードが予言した中性子が、その弟子のチャドイックによって発見された(1935年物理学賞)。ブロックハウスとシャルが中性子分光と中性子回折によって結晶構造や分子運動等のダイナミクスを調べられることを示し、X線や電子線では得られない物性研究の分野を開いた(1994年物理学賞)。

3.電子の発見と放射線の測定技術や加速器の開発、人工放射性元素の創成

エレクトロニクスの担い手である電子の発見は、トムソンによる「陰極線の電界による進行方向の変化」の定量的な測定によって粒子性と質量が確認されたこと(1906年物理学賞、以降年号のみ表示)による。その後、放射線を検出する装置や利用技術が多く発明され、さらなる成果が生まれた。放射線教育によく用いられる 霧箱が、ウィルソンの発明(1927年)、アンダーソンによる電子の反物質である陽電子の発見(1936年)、ブラケット博士の光が電子と陽電子を対生成するという現象の観察(1948年)の3件のノーベル賞を生み出している。また、グレーザーによって泡箱 (1960年)、シャルパックによる多線式比例計数管 (1992年)は、その後の原子核・素粒子実験物理の飛躍的な発展に貢献した。

 キュリー夫妻の子どもであるフレデリックとイレーヌ・キュリー夫妻による人工放射性同位元素30Pの創成(1935年化学賞)とヘヴェシーの発明したトレーサー応用(1943年化学賞)の技術は、加速器とともにいろいろな放射線利用技術を生み出し、生物学、農学、林業学、水産学、畜産学、栄養学、環境科学や工学など、基礎研究から応用研究に幅広く用いられるようになった。さらに、核化学上の重要な成果は、ハーンの核分裂反応の発見(1944年)で、今日の原子力エネルギーの基となった。

4.高エネルギー電子や陽子による素粒子研究
 仁科芳雄は理化学研究所において、日本における新しい物理学の拠点の確立に努力した。1931年京都大学で量子論を1ヶ月間講義した。それに刺激を受けたのが湯川秀樹や朝永振一郎で、湯川は1934年に電気的な性質が違う陽子と中性子がなぜバラバラに崩壊せず原子核を作っていられるのか説明する理論として中間子の理論を発表した。その存在をパウエルが検証したこと(1950年ノーベル物理学賞)により1949年に湯川が日本人として初めてのノーベル物理学賞を受賞した。彼の「物理学は紙と鉛筆があればできる。」の言葉に発奮して、若い俊才が彼らのもとに集まり、素粒子研究を目指して日夜議論した。その中の小林誠や益川敏秀は、この世に反粒子の世界がなぜないかの説明にもなる「小林—益川理論」を立てた。その理論を、KEKのリング型電子加速器KEKBがスタンフォード大学の電子線形加速器と激烈な実験競争に打ち勝って検証した。所員は、毎週報告される積分ルミノシティの値と測定結果を見守り、ついにKEKが圧倒的にリードできた時には快哉を唱えた。その結果によって、2008年に二人は神とも仰ぐ南部と一緒にノーベル物理学賞を受けた。

 KEKのもう一つの陽子加速器PSは、1987年に完成し、高エネルギー陽子が生み出す中性子、ミュオン、ニュートリノを用いての原子核・素粒子実験と物性研究、さらに筑波大による医学応用研究が行われた。ニュートリノは、神岡鉱山の地下深くに建造されたカミオカンデに設置された巨大な水タンク中の水に生み出されるチェレンコフ光を検出することで測定される。超新星爆発に伴う電子ニュートリノを捉え、2002年に東大の小柴昌俊にノーベル賞が授与された。そのグループの梶田隆章は、天空から来るものに対して地球を貫通してくるものの方が少ない観測結果に気付いた。この頃、ニュートリノは3種類の型があり、質量を持たないと言われていた。しかし、梶田は、実験と理論の両面で慎重に検討して、ニュートリノが質量を持つことを暗示するニュートリノ振動を観測できたと結論した。但し、ニュートリノ質量の観測には至っていなかったため、PSで作られたミュオンニュートリノを神岡鉱山の施設に打ち込んで、ニュートリノの存在確率と変動している状態を直接的に確認し、2004年に質量があることを確実なものとした。これらの結果に対して、2015年に物理学賞が梶田に授与された。

5.あとがき
 2015年には、放射線等で損傷を受けた遺伝子の修復現象に対して、リンダール、モドリッチ、サンジャール3博士らに対して、化学賞が贈られた。その成果は、がんの放射線医療にも参考とされている。放射線が係わった偉大なノーベル賞研究は、それを生み出した技術とともに、多くの科学や技術を生み出した。原子力エネルギーの他、医療診断ではレントゲン検査から最新のがんのPET診断が、がん治療ではX線治療から最新の重粒子線やホウ素による中性子捕捉療法がある。電子顕微鏡と放射光や中性子回折による物質や生体分子、DNA遺伝子などの構造解明に伴って新材料、機能材料創成や創薬が期待できる。放射線によって材料の高品質化、微細加工、非破壊検査などの工業利用、農業分野では作物の品種改良(育種)と害虫の不妊化、食品照射によって長期保存を可能とし、医療器具の滅菌・殺菌、環境浄化等に利用されている。つくばの研究施設や企業では、それらの発展に日夜邁進してる。そして、いずれの日にか、新たなノーベル賞や国際賞級の成果が生まれよう。

 最後に、筆者は、小林—益川理論とニュートリノ振動の検証のために日夜実験が進められていた頃にKEKに居あわすことができた。その中心人物だった戸塚洋二も、このノーベル物理学賞の候補者として挙げられていたことを伝え、さらに今後、若い人がそれに続くことを期待してペンを置く次第である。